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見たい!聞きたい!言いたい!

いろいろなことを見たい。いろいろな人からいろいろなことを聞きたい。そして、いろいろなことを言いたい。

続続・「働く」ということ。

有難いことに日本は完全な学歴社会ではないです。

・大学が多すぎて、大学のレベルがピンキリ。
また卒業が容易な大学も少なくないので、
大学は選ばず、「大卒」という肩書きだけ欲しいのであれば、
お金さえあれば比較的容易に取得出来る。
つまり、「大卒」という肩書きだけでは
本人の素質を企業側は見抜きづらい。
・高卒や専門学校卒、大学中退でも
社会的に成功している人が多くいる。

などの理由から、大手企業でも中途採用に対して
門戸は開かれていることが少なくないです。
もちろん新卒の段階で
高学歴でかつ潜在的に高スペックであれば
生え抜き社員として働けるので時間の無駄がないうえに
待遇も良いです。
そして、ヘッドハンティングは別として、
中途採用は会社側から評価されるまでに時間がかかりますし、
年齢の割にスタート給与が低い場合があります。
メリットとデメリットはあります。
それでも働きたいと思えば、本人の努力次第で
働きたい場所で働ける可能性は充分あります。

新卒以外ほとんど採用しない企業もありますが、
全国的に見ても唯一無二な業務をやっていることは少なく、
その企業でなくとも、
近い内容の業務を行なっている会社は他にもあるはずです。
(もちろん全ての企業には当てはまりませんが。公務員など。)

また、大企業は高待遇の可能性が高いですが、
大企業だからこそ各所調整が必要で動きが鈍いこともあり、
それに比べ中小企業やベンチャー企業は良くも悪くも変革が早く、
「やりたい」を実現するまでのスピードが速い可能性が高いという、
やりがいや成長の違いもあります。

だから、奨学金制度を利用してまで大学進学したい方が
思っている以上に多いことが不思議です。
どうしても大学進学しないと研究できない、
例えば何かしらの研究職を目指しているのであれば理解出来ます。
数学オリンピックだったり、W杯クラスのスポーツなど、
世界規模の大会の受賞者であれば理解出来ます。

しかし、
「大卒という学歴が欲しい」
「社会でやりたいことを探すために大学に進学したい」
という理由などであれば、
むしろ社会で働いて経験やスキルを積んだ方が
好きなこと・やりたいことに近づける可能性がありますし、
最悪、中途半端な結果で卒業してしまう可能性もあり、
無理をしてまで大学進学することには疑問です。

そして、それでも奨学金制度を利用して
大学進学したいのであれば、
学年トップで卒業するぐらいの強い意志と、
奨学金制度を無駄遣いで終わらせない覚悟を持つべきだと思います。

続・「働く」ということ。

フリーランスではなく会社で働いており、
給与を昇給させたい場合。
個人的には「責任感」が大事だと思います。

与えられた仕事が納得いかなくても仕事は仕事。
給与の対価として仕事をすることは義務です。
義務を果たさなければ、
その会社の社員ではありません。
ですので、しばらく働いても
やりがいはもちろん、
スキル取得などのメリットを感じず
苦痛しか感じない業務内容であれば
極論、潔く辞めるべきだと思います。
どちらが正しい、どちらが間違っているのでなく、
「合わない」というだけ。
本人にとっても会社にとっても
合わないのに無理して過ごしても
時間の多くがお互いに無駄。
有難いことに日本は完全な学歴社会ではないので
100%では無いにしろ、
自分により合う会社は見つかります。
(ただ、あまりに転職すると
諦めグセや辞めグセがつくので転職選びは慎重に。)

話は逸れましたが、
給与に見合う仕事をするのは当然。
そして、そこにどの程度「責任感」を上乗せ出来るか。
仕事に責任を持てば、
「案件のゴールを見据えた仕事」を意識出来るし、
「社内はもちろん社外(客含む)の未来」を意識出来るし、
「社内での将来の自分」を意識出来る。

そこから初めて、昇給の権利が与えられると思います。
義務と責任を果たしてこそ権利を主張出来ます。

「働く」ということ。

人によって捉え方は様々だけど
私にとって「仕事」とは「等価交換」です。

自分の能力やスキル、労働力は、「お金」によって評価される。
自分の能力を向上させ、
仕事の責任を負うことで会社や世間に貢献すれば
昇給によって評価されるし、
昇給がなければ評価されていないということ。

給与以上に自分の労働力を使い続けていると思うなら
一度自分を見直します。
会社と自分の歯車が合っているのか。
今の給与(=評価)で妥協し続けることが出来るのか。
そもそも自分の能力を磨きたい仕事なのか。
本当にやりたい仕事なのか。

その結果、
給与と同等程度と自分が考える労働力で働き続けるか、
もっと自分の能力を磨き、より高給を求めて転職するか。
それだけです。

挨拶するということ。

「おはようございます」
「こんにちは」
「こんばんは」

接客されるうえで店員さんなどから
挨拶されることが多々あります。
そして、気恥ずかしかったり精神的に余裕がないと
まともに返答しないまま買い物の会計をして
早々に立ち去ることもあります。

でもそんな自分がなんだか嫌で、
多くの人にとっては些細なことだろうけど、
「気恥ずかしくても精神的に余裕がなくても
意識して視線を合わせ笑顔で挨拶する」
を頑張っています。
忘れることもあるけど。
そうしたら、今日はちょっとだけオマケしてくれました。
自分、ラッキー。

オマケも嬉しいけど、
嫌な自分と変えていくって気持ち良いものです。

失って気づくもの

左目用のコンタクトレンズを無くしました。
ソフトではなくハード。
電車の中で。

残った右目のコンタクトレンズを外すと
私の見る世界全てが何重にもぼんやりになってしまい
仕事にならないので、
右目はコンタクトレンズ左目は裸眼で1日過ごしました。

・視力ってやっぱり大事
コンタクトレンズの取り扱いも大事
・アンバランスな世界は気持ち悪い

は予想していたけど、

・見えなくてもどうにかなることが意外に多い
・というか、見えない(=知らない)方が穏やかに過ごせる時がある
・つまり、普段は見なくても良いものも見てしまうから
心が落ち着かないのかもしれない

ということを身をもって実感しました。

もちろん私の不注意は気をつけるべきこと。
ただ、「全てが必然」とは言うけれど、
眼に入るものはなんでも気になってしまう貪欲な私へ
「見えない世界」の良さを気づくキッカケでもあったのでしょう。

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